板額御前(はんがくごぜん)とは?
一言でいえば、「鎌倉時代初期に活躍した、弓の名手の女性武将」です。
平安末期から鎌倉初期にかけて、現在の新潟県胎内市(当時の越後国)を本拠地とした城一族の女性です。
どのような活躍をしたか?
板額御前が歴史の表舞台に登場するのは、1201年(建仁元年)に起こった「建仁の乱」です。
鎌倉幕府への反乱 彼女の兄である城長茂らが鎌倉幕府の打倒を計画。それに呼応し、甥の城資盛とともに、本拠地である越後の鳥坂城で挙兵しました。
百発百中の弓 幕府が派遣した討伐軍に対し、板額御前は城の櫓の上から、百発百中と称される神業的な弓の腕前で敵兵を次々と射抜き、討伐軍を大いに苦しめました。当時の正史『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも、「女性の身でありながら、その弓の腕は父兄を超えるほどだ」と記されています。
捕縛とその後 奮戦むなしく、幕府軍の武将に両脚を射られて捕らえられてしまいます。 鎌倉へ送られ、将軍・源頼家の前に引き出されますが、彼女は臆することなく堂々とした態度であったため、居並ぶ幕府の宿将たちを驚かせました。
甲斐源氏との縁 その勇猛さと堂々たる様に感銘を受けた甲斐源氏の一族である浅利与一(浅利義遠)が、将軍頼家に「彼女を妻に迎え、強い子を残したい」と願い出て許されます。
それではその続きは動画でどうぞ!
実は11月2日、その板額御前の生まれ故郷新潟県胎内市で活動している「板額会」の方々がこの浅利の里に交流にいらっしゃいました。
約2時間、浅利与一地蔵尊、浅利観音、神社を見学され、その後浅利公民館でそれぞれのプレゼンテーションと意見交換が行われました。
「板額会」は板額御前顕彰活動の中心となっている民間団体です。
主な活動:は胎内市教育委員会と共催で、大規模なイベント「板額の宴」を企画・運営しています。
また、PR活動:「合格百発百中シール」といったユニークなPRグッズの配布や、ストラップ、手ぬぐいなどの販売も行っています。
“現代の板額御前”: 毎年「○代目 板額御前」を選出し、イベントの贈呈役などで活躍されています。
お二人とも、歴史に関したいへん熱い方で、我ら浅利を知る会も大きく刺激をいただきました。
今板額御前後、新潟と山梨で、歴史を通して熱いか交流が始まります。
板額御前については下記漫画がたいへんわかりやすいです。
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